Programming master school

全貌ページまでご覧いただきありがとうございます!

今後、複業(副業)は必須になる!
と私は考えています。

全貌記は、今まで複業を真剣に取り組まなかった、志の無い中途半端な行動の結果です。

長文ですが、よろしければ、興味のある方は読んでみて下さい。

FX第一期

2006年、人生を変える出会いがありました。
外国為替証拠金取引。そうです、通称FXです。

当時はFXの事は全く知りませんでした。

たまたま立ち寄った書店に【少額からスタート出来き、株より簡単で儲かる!】と大きく書かれた雑誌を手にしたのがキッカケです。

雑誌の内容を要約すると、”無料デモ取引で練習ができるので、安心!”と書いてありました。
*個人の感想です。

早速雑誌を購入し、デモ取引を開始!

当時はドル円のスワップは現在よりも高く、スワップ狙い併用の”買い”を主に推奨していたと思います。

スワップが取られる、売りが嫌だった私は、”買い”一択で取引していました。

約3ヵ月でデモ口座は、利益が100万円以上に増えていました。

しかも、特に何も考えず、結構簡単に、取引してました。

結果から、当然皆さんも「FXって簡単に儲けられる!」と思いますよね。

それで、ご想像通り!翌年の1月に、リアルでトレードを開始しました。

記憶が曖昧ですので、確実なお話ではありませんが、当時は国内業者もレバレッジが100倍を越える業者もあったと思います。

100倍位で取引を開始して、数か月で20万円位の利益が出たので、もっとレバレッジの高い業者、確か4~500倍で取引していたと思います。

私は、レバレッジの意味をよく理解せず、「少ない資金で取引が出来るんだ~。だったらお得な方に!」程度の知識でした。

結果、資金20万円スタート、基本的にスイングの取引で、1年間で100万円程度の利益が出ました。

お~!この100万円を次の年に再投資したら、すごいことになるぞ!ムフフ
となりました。当然ですよね。

事件1  税務署ショック

しかし、翌年事件が・・・
そう、ご存じのリーマンショック!
では無く、その前に、私の場合は、”税務署ショック”がありました。

前年は20万円以上の雑所得があるので、本来ならば、確定申告が必要になります。
確定申告が必要なことは知っていましたが、方法がわかりませんでした。

ですので、ネットで申告方法を検索していました。

そこで、目にしたのは、100万円程度の利益なら、「税務署は来ないよ。」「もっと取れるところに行くからスルーさ。」の様な内容が多くありました。

と言うことで、やり方もわからないので、申告しませんでした。

しかし!
○○税務署です。お話があるので、〇月〇日〇時ご自宅に伺ってよろしいですか?」と電話が来ました!

眠れない日が数日続き、当日を迎えました。
税務署の方々がいらっしゃり、和やかに話は進みました。

いくらか会話をし、最後の方までFXの話は少しも出ませんでしたが、帰り際に、
「株などの投資はされていませんか?」
と問われたので、

「し、していません!」とシラを切りました。
*しかし、挙動不審だったと思います・・

「そうですか。わかりました。」と言われ帰られました。

まずは、「事無きを得た~」とホッとしていました。

数日後
○○税務署です。お話があるので、〇月〇日〇時に来て下さい。」

指定された日に、出頭したら、FXの事はしっかりと調べられていました。
シラを切た為、こっぴどく叱られ、反省文を書かされ、追徴課税を約30万円支払いました。

小心者の私にとっては、なかなり恐怖でした。

私の経験から、みなさんに言えることは、面倒くさがらず、正直に確定申告しましょう!
この頃より現在は、オンラインが発達しているので、すぐにバレると思います。

*もう少し詳しい話は、余裕が出来たら、後日ブログに書くかも知れません。

事件2 リーマンショック

そして、いよいよお待ちかねの、リーマンショックに出会います。

確か、追徴課税分を取り返すべく、資金を少し足したと思います。

そして、ご想像通り、資金は無くなりました。
と言うか、無くなってました!

正直、何が起こった意味不明でした。
私は、FXをほぼ勉強&理解をしていないで取引をしていました。。

ドル円は110円~120円位を行ったり来たりするものだと思っていました。

ですから、110円付近に分散させて、買いポジションの指値を入れて。

決済は、120円付近に分散させて、指値を入れていた、取引だったと思います。

何pips毎かは、覚えていません。
確か、この様な取引だったと思います。
*価格は正確ではありません。

ですから、毎日チャートも口座も、見ることはありませんでした。
と言うかチャートの見方は、よくわかりませんでした。

損切りの意味もわからなかったので、損切りも入れていませんでした。

ある日、久々に口座を確認したところ。
資金が無くていて、いつ何が起こったか全く理解不能でした。

FXの仕組みが理解出来なく、恐怖を感じ、これを機に撤退することに決めました。

ロスカットになったので、追証にならなくて済みました。
しかし、ロスカットになっていなかったら、もっと大変な事になってました。

当時はロスカットやゼロカットの意味も知りませんでした。
最近まで、ロスカット=ゼロカットだと思っていました。。

現在冷静に考えると恐ろしくなります。

FX第二期

2度目の挑戦は、もう10年前になります。
2011年3月11日の、東日本大震災がキッカケです。

私の実家は、見晴らしの良い高台にありました。

この家は、母の再婚を機に購入し、2011年で、住み始めて13年位だと思います。
*当時、私は結婚していて、一緒には住んでいませんでした。

夕日や夜景の綺麗な、かなり立地条件が良いところでした。

後で知ったのですが、当時母は、会社で高い地位にあり、それなりに収入があったようです。

しかしその収入だけでは、購入資金は足りませんでした。

母はどうしても購入したかったので、親戚などからお金を借りたそうです。

私はそれを知らず、のうのうと数年暮らしていました。

因みに再婚者は購入資金調達の為?
毎日頑張ってパチンコをしていた様です。
調達は失敗に終わったみたいですが・・・

 

2011年3月11日。
東日本大震災が発生しました。

高台が仇となり、家は生活スペースは残りましたが、至る所が破損していました。
私の判断では、ほぼ全壊の状態でした。

保険金はおりましたが、”半壊”扱いとなり、修繕には全く足りませんでした。
結果、泣く泣く家を手放すこととなりました。

その際、いつも気丈な母は、気弱になり、とても小さく見えました。

母の事

話がそれますが、
ここで母の事を少しお話しさせて下さい。

母と実父との結婚は、母の親が決めた結婚だったそうです。

当時、母には好きな人がいましたが、親から強引に実父と結婚させられたそうです。

母は結婚前、実父を、やさしい性格だと思っていました。
しかし、一緒に暮らす様になると豹変して、毎日暴力を振るう様になったそうです。

耐えかねた母は、実家に帰ります。
しかし、親からは「何で戻って来るんだ!近所に恥をさらすんじゃない!」と家にも入れてもらえず、そのまま帰ったそうです。

母の時代は、今とは違い、出戻りは許されない時代だったそうです。
その後も、毎日の様に実父の暴力は続いたそうです。

私が幼い頃は、実父の暴力が始まる前に、いつも寝かされていました。
しかし、父の暴言と母の叫び声を、布団に包まり振るえて聞いている毎日でした。
ドラマの様な話ですが、実話です。

そして、数年が経ち、私が高校生の頃、とうとう耐えかねてた母は、
家を出て行ってしまいました。

その後、裁判があり、私の親権は母になり、母と暮らす様になりました。

母は「本当は、すぐにでも出てい行きたかった!」でも、子供を生んだ以上、育て上げる責任がある。

だから、「離婚してしまっては、子供を高校まで通わせる事は出来なくなる。」と考えて、高校を卒業するまで、離婚はしないと決めていたそうです。

しかし、暴力は年々エスカレートし、流石に”死”の危険を感じたので、やむなく家を飛び出したそうです。

私は気が小さく、体格もあまり大きくないので、実父が怖く、逆らう事が出来ませんでした。

中学になった頃でも、実父の暴力を止める勇気がありませんでした。

でも一度だけ、母が死にそうに思えたので、止めに入ったことがあります。
しかし、土木関係の仕事をしている、筋肉ムキムキの実父には、全く歯が立たず、私も死にそうになり、二度と逆らえませんでした。

今思い出しても、母を助ける事が出来ず、本当に情けなかったです。

私の決意

話を戻します。

母が、実父の暴力に必死に耐えていたときに、助ける事が出来なかった後悔がある私は、思わず、
「大丈夫、俺がFXで稼いで、また買い戻すよ!」
と口走ってしまいました。

しかも、「20万円を100万円にした実績があるから任せて!」
と大損失のことは一切伝触れずに・・・

「20万円→100万円→500万円→2500万円→1億2500万円! 4年で余裕で取り戻せるじゃん!」
などと言ってしまいました。

母は心配そうでしたが、少し笑顔になりました。

それから、3年が経ちましたが、全く資金は増えませんでした。

それどころか、マイナスしていました。

黒歴史

その3年間にあった出来事です。

1,詐欺商材購入して、日経225の取引

約30万円の損失。

どこからメールアドレスを入手したのか、ある日、
「書いてある通り行えば簡単に儲かる!」
と言う内容のメールが来たので、思わず飛びついてしまいました。

当時は、商材と言う物を知りませんでした。
「なんていい人だろう!神だ~!」とまで思っていました。

 

2,○○商事から、電話で進められた、FXの取引で損失。

約5万円の損失。

キャンペーンか何かで、口座開設した、○○商事から電話がありました。
以下ザックリとしたやり取りを書きます。

商事--「○○通貨が今後上昇するので買った方がいいですよ。 
価格見ていて下さいね。来週また電話します。」

次週
商事--「どうです、○○通貨上昇しましたよね。もし○○円分購入していたら、○○円も利益が出てましたよ!
まだまだ、上昇しますので、買いませんか?」

私----”私よりプロの方が確かだろう!”と思い、「はい。購入します。まず1万円からでもいいですか?」

商事--「大丈夫です。仲介手数料○○円になりますがよろしですか?」

私----「はい、わかりました。宜しくお願い致します。」
 
その後1週間位は少し上昇しましたが、そのあとは下落。
その下がり続けている間、何度も○○商事から電話が来て。

商事--「来週は、上昇するので、ロスカットされる前に入金して下さい。」
私----「は、はい、わかりました!」
 
この様なやり取りが数回続き、結局、下落が止まらずロスカット。

仕事中は、緊急を除き、個人要件の電話やメールは禁止されているので大変でした。

取引のたびに、仲介手数料と購入手数料が取られていた記憶があります。

その数年後、また電話が来ました。

商事--「前回は読み間違えてしまいました。今度は大丈夫です!前回の損を取り返す為、○○通貨取引しませんか?」

私----「FXはやめたので、お断りします!」

商事--「わかりました。また来週電話します。○○通貨見ていて下さいね。」

私----「あれ?お断りしたのですが・・」

で、次週にしっかり電話が来て、キッパリお断りしました。

その後も何度も電話が来ましたが、着信拒否に設定しました。

 

3,エクセルに入力して、その通り注文を入れる商材を購入して損失(FX)

多分、2~3万円の損失。

初めから勝てなかったので少額にしていた。

商材だと思わないで購入しました。
(確か3~4万円で購入)
スゲ~!頭いい人いるんだなと思い購入してしまいました。 

確か、バックテストは無かったと思います。
バックテストの存在を最近知ったので、
見てないだけかも知れませんが。。

以上が黒歴史です。とてもカッコ悪いので、正直思い出したくも、書きたくもありませんでした。

結局、3年で裁量トレードも含めて、総額200万円位まで損失がふくらみました。
最後は、流石に家族に止められました。

ここで、2度目の撤退です。

FX第三期(現在)

2度目の撤退後、
投資は私に向いていないと感じたので、コツコツと会社でに働くことにしました。

給料は固定給でしたので、残業代は付きませんでしたが、残業は月に100時間オーバーは当たり前の会社でした。

年に何回か徹夜もありましたが、仕事内容は好きでしたので、さほど辛いとも感じてはいませんでした。

会社は個人経営ですが、毎年、昇給やボーナスもあり、創業から2018年までは、10年以上、毎年増収増益でした。

収入は、普通に暮らすには悪くなく、やる気も向上心もありましたので、「このまま働いていてもいいかな~」と思っていました。

電子産業系ですので、”倒産することまずない”とも考えていました。

しかし、2019年頃から次第に業績は悪化し始めました。

いくつかの会議に出席して、対策等を話合いました。
その中で私は、無意識に、社長の地雷を踏んでしまったようです。

会議から1ヵ月程度経ったころ突然、役職を変更されました。
「ん?なんで?」と思いましたが、
”給料は変わらない”とのことでしたので、
受け入れました。

おかげで、会議に出席することは無くなりました(笑

収入源が1つしかないリアル

前述した会議から約1年後、突然、部署異動を命ぜられました。

部署異動をしたことで、私には、今までの様な生産性がない(利益を生まない)ことを理由に、再度役職を変更され、大幅減給。

さらに、コロナの影響で、受注量が少なくなったことを理由に、固定給から残業給へ。

しかも、働き方改革の為、残業は月に42時間まで。

不思議なのは、固定給が残業給になったのは、ほんの一部の人。
多分、社長の地雷を踏んだ人達だと思います。

他の人(イエスマン)は固定給のまま。
残業上限が42時間で少なくなったため、固定給の人は、実質昇給したようなもの。

因みに、残業給に変更になった人は、今期は昇給無しです。

結局、年収にして、
100万円以上減になってしまいました。。

収入源が1つしかない恐ろしさが、このとき身に染みてわかりました。

まさに投資の格言、
「卵は一つの籠に盛るな!」
だと思います。

志のある行動を起こさなかったリアル

ここまで来てやっと、私の今までの行いを悔やみました。
会社に頼らない生き方をしっかりと考えるべきでした。

「会社だけに頼るな!」ということは、世間の風潮で感じてはいましたが、
特に実感が無かったので、志のある行動はしていませんでした。

正直申しまして、私は高い技術力があるわけでも無く、アラフィフですので、転職は難しいところです。

転職が出来たところで、”収入源は1つ”ですので、同じ事になるでしょう。

「技術があれば食いっ逸れしない」
と言う話もありますが、
私の業界の場合は、よほどの実績が無い限り、採用されません。

技術が高い=歳をとっている=職人気質=扱い難い=不採用と言う感じです。
逆に、技術が高く若い人は即採用。

「これからどうしよう!」
と妻と途方に暮れました。

現在パートをしている妻ですが、掛け持ちする為、何度か面接を受けました。

しかし、全て不合格になってしまいました。
今では、すっかり自信を無くして、職探しもしていません。

妻にそんな苦労をさせている私が、情け無くて、情け無くて。。

コロナの影響で、失業されている方が多くいらっしゃるので、仕事があるだけ良いのかも知れません。

しかし、私たちには子供もおります。

子供には夢があるようで、
「あれがやってみたい!これやってみたい!」
と語り。将来その職に就く為、自ら学校のパンフレットを取り寄せたりしています。

しかも、目を輝かせながら話されると、親としては応援せずにはいられません。

母は歳をとってきてますが、まだ働いています。

再婚者も働いていますが、給料はパチンコで消えている様子です。
「母が養っているんじゃ?」と思います。

また余談ですが、
再婚者も結婚前は優しかったのですが、結婚後、暴力は振るいませんが、パチンコに明け暮れるようになりました。

自分の小遣いだけで、娯楽としてパチンコするなら否定しません。

しかし、母の貯金を黙って、ゴッソリ引き落としたり、
老後の為に母が支払っていた、再婚者の保険を勝手に解約して、
パチンコをしていたのは、”ちょっとどうなの?”と思います。

話を聞くと、私のFXの損失以上、損を出しているみたいです。

母の男運って・・・(私も含む)

志をもって

母には、そろそろ、ゆっくりとした自分の時間を過ごして欲しいです。

かなり遅いですが、しっかりとした親孝行がしたい!いや、する!

失敗続きのFXですが、今度こそは家族の役に立ちたい!安心させたい!
と決意し、2020年の後半から再スタートしました。

しかし、感情に左右され、ルールも無くトレードをしていたので、当然ですが、また損失続きです。

今回は、絶対に利益を出したい、いや、出さなければいけない!
ですから、マインドを変えて、スクールに入会する事に決めました。

入会する為に、お金をかき集めたので、今はトレードをする資金がありません。

しかし、その分プログラミングを基礎から集中して学ぶ時間が取れます。

しっかりと検証して、根拠のあるトレードルールを構築し、感情を入れないトレードを出来る様になります。

ITスキルゼロなので、難しそうなブログは、絶対やらないと決めていました。
しかし、成長記録、備忘録、アウトプット、ITスキルアップになると考え、始めました。

今後はFX以外にも、複業を増やし、収入源を少しずつ増やしていきます!

私と同じ様な境遇の方は、あまりいらっしゃらないと思いますが、

共感して頂ける、特にアラフィフの皆さん、
残り半分の人生に悔いを残さないめに、一緒に成長しましょう!

ここまで、読んで頂いてありがとうございました!

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